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────────────────────────────────────────────────── !"#$%&$’()* 武田 弘 Hirosi TAKEDA 日本の月探査機「かぐや」がすばらしい月の画像を送って来つつあるのは非常に喜ばしいことで ある。とくに、これからの月惑星探査を担って下さる比較的若い研究者が中心になっていることも 将来の月探査にとって楽しみなことである。私は、その活動をどこまで見届けることができるか判 らないが、これを機会に日本の月探査が多くの人達の協力により実現した足跡をたどり、その人達 の御努力に報いることができればと思い、筆をとった。 !"#$%&’(()* 私がどうしてそのような立場に立てるかというと、NASA(米航空宇宙局)のアポロ計画が実施 される以前から、少々月探査にかかわってきたからである。私は東大で博士課程を 1962 年 3 月末 に修了してから 18 日目には、アメリカ合衆国東部のジョンズ・ホプキンス大でリサーチ・アソーシ エートとして勤務すべく渡米した(この頃はアメリカの黄金時代で、ジョン・F・ケネディ大統領や マリリン・モンローが生きていた)。ケネディは大統領就任演説で、 「この 60 年代が終わるまでには、 人を月に送り、安全に帰って来させる」と宣言していた。しかし、私の大学での仕事は、ウンモと いう地球表層の土壌に多くある粘土鉱物の基本構造をもつ鉱物の化学組成と結晶構造の関係を、最 新の X 線回折機器で決定することであり、直接には月と関係していなかった。 渡米丸 3 年でビザの期限も切れ、帰国しなければならなくなったが、まだ帰ってくるなというこ とだった。そこで今までウンモ関連の仕事をしていたアメリカ合衆国の地質調査所(USGS)のメル コム・ロス博士にお願いし、「この研究者は米国にとって必要な研究をする人だ」ということで、ビ ザの期限を延期してもらった。ここに滞在中の 6 か月間に、ウンモ・ポリタイプの数百オングスト ロームの長周期をもつ積層構造をいくつも決定し、サイエンス誌に投稿し、1965 年夏に帰国した。 この当時、USGS が月の地質学を先導しており、NASA はできたばかりであった。もし月から岩石 鉱物を持ち帰ったら、どんな研究をするかというプロジェクトを昼食時によく議論した。 ワシントン DC の USGS には、アリゾナのメテオール・クレーターで、二酸化ケイ素の高圧鉱物 のチャオアイトやスティッショバイトを発見し、このクレーターが隕石衝突により形成されたとい うことを明らかにしたチャオ博士をはじめ、隕石や月に興味をもつ研究者がいた。ここで知りあっ たロビン・ブレット博士が、NASA の有人宇宙飛行センターの月の石を研究する地球化学ブランチ の長としてヒューストンに行き、月研究をリードするグループを育てた。 USGS でのウンモ研究が評価されて私にも声がかかり、彼とともに月の石を研究することとなっ たが、日本からの交通費・引越費用・滞在費・研究費などを出してくれたのは、米アカデミーのナ PLANETARY GEOLOGY NEWS Vol.20 No.2 June 2008  TEL :03-3844-5945 FAX:03-3844-5930 E-mail: [email protected] 発行人:惑星地質研究会 白尾元理・出村裕英 事務局:〒111-0035 台東区西浅草 1-3-11 白尾方 

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第 19 巻 第 3号                                        13 ──────────────────────────────────────────────────

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武田 弘 Hirosi TAKEDA

 日本の月探査機「かぐや」がすばらしい月の画像を送って来つつあるのは非常に喜ばしいことである。とくに、これからの月惑星探査を担って下さる比較的若い研究者が中心になっていることも将来の月探査にとって楽しみなことである。私は、その活動をどこまで見届けることができるか判らないが、これを機会に日本の月探査が多くの人達の協力により実現した足跡をたどり、その人達の御努力に報いることができればと思い、筆をとった。

!"#$%&'(()*

 私がどうしてそのような立場に立てるかというと、NASA(米航空宇宙局)のアポロ計画が実施される以前から、少々月探査にかかわってきたからである。私は東大で博士課程を 1962 年 3 月末に修了してから 18日目には、アメリカ合衆国東部のジョンズ・ホプキンス大でリサーチ・アソーシエートとして勤務すべく渡米した(この頃はアメリカの黄金時代で、ジョン・F・ケネディ大統領やマリリン・モンローが生きていた)。ケネディは大統領就任演説で、「この60年代が終わるまでには、人を月に送り、安全に帰って来させる」と宣言していた。しかし、私の大学での仕事は、ウンモという地球表層の土壌に多くある粘土鉱物の基本構造をもつ鉱物の化学組成と結晶構造の関係を、最新のX線回折機器で決定することであり、直接には月と関係していなかった。 渡米丸 3年でビザの期限も切れ、帰国しなければならなくなったが、まだ帰ってくるなということだった。そこで今までウンモ関連の仕事をしていたアメリカ合衆国の地質調査所(USGS)のメルコム・ロス博士にお願いし、「この研究者は米国にとって必要な研究をする人だ」ということで、ビザの期限を延期してもらった。ここに滞在中の 6か月間に、ウンモ・ポリタイプの数百オングストロームの長周期をもつ積層構造をいくつも決定し、サイエンス誌に投稿し、1965 年夏に帰国した。この当時、USGS が月の地質学を先導しており、NASAはできたばかりであった。もし月から岩石鉱物を持ち帰ったら、どんな研究をするかというプロジェクトを昼食時によく議論した。 ワシントンDCの USGS には、アリゾナのメテオール・クレーターで、二酸化ケイ素の高圧鉱物のチャオアイトやスティッショバイトを発見し、このクレーターが隕石衝突により形成されたということを明らかにしたチャオ博士をはじめ、隕石や月に興味をもつ研究者がいた。ここで知りあったロビン・ブレット博士が、NASAの有人宇宙飛行センターの月の石を研究する地球化学ブランチの長としてヒューストンに行き、月研究をリードするグループを育てた。 USGS でのウンモ研究が評価されて私にも声がかかり、彼とともに月の石を研究することとなったが、日本からの交通費・引越費用・滞在費・研究費などを出してくれたのは、米アカデミーのナ

PLANETARY GEOLOGY NEWS Vol.20 No.2 June 2008 

TEL :03-3844-5945 FAX:03-3844-5930  E-mail: [email protected]

!惑星地質ニュース  発行人:惑星地質研究会 白尾元理・出村裕英  事務局:〒111-0035 台東区西浅草 1-3-11 白尾方 

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14                                   2008 年 6月 ───────────────────────────────────────────────────

ショナル・リサーチ・カンシル(NRC)だったので、そのNRC 主任研究員に応募することとなった。それにはまず月がどんな鉱物でできているかが判らないと、プロボーザルが書けないので、アポロ 11 号で最初にとって来た石が何であったか、サイエンス誌にその論文が出るまで待たねばならなかった。 日本のメディアがアポロ 11 号の月着陸に多くの記者を派遣した

大騒ぎは、当時の新聞やテレビを見ていただくとして、ここではそれにはふれないでおく。詳しくはもう絶版になったが、中央公論社より中公新書として1991年に出版された私著「失われた原始惑星」を参照されたい。

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 NCR の主任研究員のプロポーザルが認められ、テキサス州ヒューストンの有人宇宙飛行センター(MSC)に着いたのは、アポロ13号が月着陸に失敗し、14号の発射を待っていた1970年6月であった。センターの前を通るNASA Road 1から見るMSCは、マンガの世界でない現実の宇宙基地であった。アポロ計画は、月に星条旗を立てる国家的プロジェクトのように思われたが、研究陣はいたって国際的な陣容で、ブランチ・チーフのロビン・ブレットはオーストラリア人で、台湾、スコットランド、ドイツ等からも来ており、米国人もヤンキーよりはテキサン(テキサス人)が多かった。「太平洋戦争は日本によってアジアが結集したが、我々のチームはオーストラリア人による国際連合だ」とブレット博士は冗談を言っていた。 研究室と実験室はアポロ試料が保管され、処理されていた 31号館(写真1)にあり、廊下のいたるところにアポロが撮った写真が張り合わされて貼ってあり、土・日も昼夜の区別なく誰かは働いており、毎日新しい研究成果を語りあった。週末には誰かがパーティーを催し、宇宙飛行士も時々あらわれた。私の仕事は、最新の自動X線回折装置(写真2)で、アポロ 12号や 14号の採取した試料(写真3)中の輝石結晶の精密構造解析を行い、月の石の冷却過程を論じた。計算機はアポロをコントロールしているのと同じ計算センターのユニバック 1108 を使った。 ヒューストン滞在中の大きなイベントといえば、毎年 1月(後に 3月)に開催される月科学会議での発表である。月の石を受けとって研究している世界の科学者が一堂に会し、研究成果をオリンピックのように競った。近くにあった月研究所のセミナーでは、ノーベル賞のハラルド・ユーリー博士などが論陣を張った。月高地は斜長岩でできていて、最も古い月の岩石は何億年前にできたのかなどが主な話題であった。

写真 1 アポロ計画当時から NASA の月の石処理と月研究の中心であった有人宇宙飛行センター(現ジョンソン宇宙センター)の 31号館。

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第 20巻 2号                                          15  ──────────────────────────────────────────────────

 アポロ計画で何が人々に大きな影響を与えたかは、月が天文学の世界から「石の世界」に変わったことである。青い水惑星として地球が話題になったが、月はクレーターの周りに石の散らばった世界であった。当初は月に行けば、太陽系ができたと同じ位古い岩石がとれると思っていた。しかし、来る石も来る石も隕石衝突でこわされ混合された角礫岩で、45億年の結晶化年代をもつ岩石は2個位しか見つからなかった。 しかし、月の石の研究で高額の装置を買い、大勢の研究者を毎年養わなければならない月研究のマフィア達は、大きな角礫岩はそっちのけで、熊手でかき集めた小さな岩石のかけらの中に、月の原始地殻の破片を探し求め、そのことについての論文だけを書いては発表し、あたかも大発見したように宣伝した。このことはその後の月探査に悪い影響を与えた。月の表面をいくら探しても、結晶質の岩石が採れる露頭などはないのである。 アポロ 17 号で地質学者として、はじめて月の地質調査をしたハリソン・シュミット博士はハーバード大出身の変成岩の研究者である。彼が調査した、アポロ 17号の着陸地点北方のノース・マッシーフからころげ落ちてきた岩塊は、隕石の衝突でこわされ混合しただけでなく、隕石衝突の熱で溶けて溶結し、その堆積物のメガレゴリス中で高温変成した、グラニュライトという種類の岩石であった。これも見かけは結晶質の岩石でも、角礫岩の組織は残っていた。

写真 2 有人宇宙飛行センターで使用した単結晶4軸自動回折装置と 1971年頃の筆者。

写真 3 アポロ 14 号の試料を運び込んだワゴンが横付けになっている有人宇宙飛行センターの月物質受け入れ施設。検疫中のサインがあるロープが張られている。

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16                                   2008 年 6月 ───────────────────────────────────────────────────

 このシュミット博士のアポロ17号が月を離れた日の翌日、私もヒューストンを離れ、日本に帰って来た。アポロ計画は、タイコー(ティコ)、コペルニクス、アルフォンサスのクレーター内部や火山性ドームのあるマリウス丘などの候補地を残したまま、また月最古の結晶化年代をもつ斜長岩の試料を採取することなく終わったので、私は日本でも月探査を始めなければという思いを強くしていた。

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 日本に帰った当時は、日本が月探査をすることは思いもよらないことで、地球外物質の研究でさえ特異な目で見られた。1973 年には日本南極観測隊が、1962 年に続きかなり多くの隕石をやまと山脈で見つけたので、これらの研究体制の確立と、海外の研究者への試料配分をするため、国立極地研のお手伝いをすることになった。第 1次南極観測隊の隊長で、極地研の所長でもあった永田武先生の御下命であった。NASA/JSC のマイク・デューク部長らも南極隕石に興味をもち、日米協力がはじまった。 この永田先生の紹介で、前東大総長であった茅誠司先生が理事長として 1978 年より、有明の船の科学館一帯で、宇宙科学博覧会が開催された時、月の石や南極隕石の展示のお手伝いをした。この展示関係の委員会の委員をしたが、この委員会に宇宙開発事業団(NASDA)の黒田泰弘参事がおられ、後の日本の月探査につながっていく。黒田参事はその後、清水建設の宇宙開発部門に移られ、建設企業関係の宇宙進出に貢献された。 日本の月探査の具体的な動きとして記憶に残るのが、航空宇宙技術研究所の與石肇部長を代表として、宇宙開発事業団の勉強会が立ち上がったことで、私も参加した。数人のグループではあったが、公に月探査について話し合ったのは一歩前進したという感じであった。その後もNASDAでは企画開発関係の人々とともに月探査計画は進められていった。 この頃の活動で記憶に残っているのは、1987年8月、ハワイ島コナビーチのホテルで開かれた太平洋 ISY会議に出席したことである。ISY(国際宇宙年)とは、米国スパーク・マツナガ上院議員の発意によるものである。彼は、宇宙の国際協力こそが人類の将来に栄光と希望をもたらすものであり、ハワイの溶岩流を月面探査や基地の演習場にしよう、と提案した。この会でNASDAの勝田秀明氏(現JAXAセキュリティ統括室長)と日本の月探査について語りあったり、日本の大手建設会社の技術者諸氏と月面基地の構想を聞いたりした。この会議については、当時宇宙開発委員会委員長代理で ISY会議の副団長であった斉藤成文先生の著書「日本宇宙開発物語」(三田出版会)に書かれている。

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 1987年の12月頃より「宇宙開発大綱」の見直しが本格化したようで、1988年1月頃からNASDAによる月資源探査ミッションへの取り組みが盛り込まれることになる方向でNASDAが動き出したようである。わが国の月への展開を目指して、月面基地の建設とそこにおける人間の定常的活動をターゲットにした計画についての基礎的検討の記録は(財)リモート・センシング技術センター(RESTEC)調査部主任研究員本村夏彦氏により残されている。RESTEC研究・調査概要報告その2

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第 20巻 2号                                          17  ──────────────────────────────────────────────────

に、昭和 63年度宇宙開発事業団委託調査『月・惑星の開発利用のためのリモート・センシング・ミッションに関する調査』である。この中に「かぐや」に搭載されている主な機器に相当する15の観測装置が列記されている。軌道と高度も約100kmとされている。 対外的な活動の記憶に残っているのは、この報告書を書いた本村氏と NASDA の勝田氏の後を引き継いだ森山氏とで、ヒューストンの JSC とカリフォルニアの JPL を

訪問したことである(写真 4)。JSCでは月探査計画に熱心なマイク・デューク部長や、JPL の月探査関係者に、日本の月探査計画を説明してまわった。本村氏には、この後も月探査で大変お世話になったが、「かぐや」の全成果を見ることなく亡くなられたことは、誠に残念なことである。 月探査にかかわる研究会でもう1つの動きは、日本の大手建設会社が集まってつくった宇宙開発建設研究会と、未来工学研究所の主導でつくられた「月面基地と月資源開発研究会」である。後者は 1988 年 10 月に、宇宙関連ならびに建設関係の大手 20社の賛同を得て発足させられ2年間にわたって調査研究が行われた。その成果は 1990 年 12 月に5冊の報告書として出版されている。そのうち月資源と関係あるのは「第2(月資源工場システム)分科会報告書」430 ページである。宇宙開発建設研究会(CEGAS)は、建設業 16社が参加して、1989 年 6月に発足した。建設業の宇宙開発への貢献を目的として地上、宇宙空間、月面、火星における施設・基地について研究を行い、1991 年、1994 年、1997 年には「宇宙と建設シンポジウム」を開催して、その成果を発表している。その後一時休眠状態にあったが、2001年新生CEGASとして再出発した。この研究会では大林組の斉藤隆雄部長・石川洋二氏や、清水建設の黒田氏・吉田氏・金森氏らのお世話になった。 月探査が実行はされなかったが、宇宙科学研究所の動きも述べなければならないだろう。1984年に月探査ワーキンググループ(WG)が結成されて以来作業を進め、1990 年度には概算要求を提出する段階にまで至り、1990 年 6 月には月探査作業部会が開催された記録がある。宇宙研での月探査に関わる大きな分かれ目は、ペネトレーター・ミッションとリモート・センシング・ミッションの競合であった。ご存知のようにペネトレーターは作られたものの月面への打ち込みは行われていない。もし、リモート・センシング・ミッションが採択されていたら、クレメンタインやルナ・プロスペクターよりも先に月全球のデータが得られていたかも知れない。 ISAS の宇宙科学委員会での採択にあたり、リモート・センシングの意義を説明しても、天文衛星などが御専門の委員の先生方に、マグマ大洋説や斜長岩など月原始地殻の岩石が残っている場所を特定するなど、岩石・鉱物の話をしても御理解が得られない。これは SELENEに次ぐ無人探査の計

写真 4 1991年 3 月 RESTECの本村さん(右)と NASDA の森山さんとNASA の JPL を訪ね、日本の月探査計画を説明。

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18                                   2008 年 6月 ───────────────────────────────────────────────────

画でも同じであり、サンプル・リターン・ミッションの実現は道遠しである。アポロ計画で月は天文の世界から石の世界に変わったのに、まだ人々はそのことを理解していないように思われる。われわれの固体惑星物質の「鉱物学的化学的研究により惑星地殻の形成と進化の基礎過程に関する NASA の知見を広めた功績」で1996年7月に、米航空宇宙局(ゴールデイン長官)より Public Service Medal が貰えたのも(写真 5)このような事情を反映しているのに、である。

月に地質学者も行き多数の月隕石も研究し尽くされた現在、採取位置のわかった場所からの試料につき、岩石顕微鏡で詳しく観察し微量元素や同位体などを地球上の大型装置で分析しないと、本質的な発展は望めないのである。

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 さて、月探査がようやく実現することになり、SELENE計画が始まった1995年、ちょうど私は東京大学を定年退官する年になってしまった。東大理学部鉱物学教室では固体惑星物質科学の講座もでき、理学部の大学院化で広域理学の分野として固体惑星物質進化の新講座も 7年の期限付で始まったが、SELENE 計画は非常に若い年代の PI(主任研究員)達により進められることになった。私も定年の年の年末には、自宅近所の千葉工業大学で付属研究所の非常勤教授という立場で Co-I(共同研究員)として、月探査に関与することはできた。 SELENE 計画については、何も私がその歴史をつづる立場にはないが、本文の後半で一部ふれた、NASDAと ISASの仕切りを越えた科学ミッション分野への進出の機会を探ろうとの意欲が ISY会議以降、NASDAに醸成されてきたことがあろうかと思う。このことはNASDAと ISASと航空宇宙技研の合併ということにも関連した大きな問題でもあった。 これには国際宇宙ステーション(ISS)計画の開発着手で、月や火星への活動拡大の中継基地としてISSが位置づけられたり、H-Ⅱロケットの開発が本格化し、H-Ⅱの能力を有効に活用できるミッションとして、月惑星分野への進出も可能となってきたこともあろう。M- Ⅴロケットの開発の扱いに関連して H- Ⅱロケットによる大型月ミッションの提案と国内外へのアピールと、コミュニティへの積極的参加の努力が実ったのが SELENEだと言えなくもない。1994 年 9 月には「シンポジウム・ふたたび月へ-日本の月・惑星探査-」が宇宙科学研究所と宇宙開発事業団の共催で開かれた。国立天文台の海部宣男教授は「月面天文台への夢」を語られ、立花隆氏の講演の後、パネル

写真5 1996年7月にNASAのゴールデイン長官より「鉱物学的化学的研究により惑星地殻の形成と進化の基礎過程に関する知見を広めた功績」でPublic Service Medal を受賞。

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第 20巻 2号                                          19  ──────────────────────────────────────────────────

ディスカッションが行われた。 ともかくも、公の機関、それぞれの団体、グループ、人々の思惑と希望を載せて、今「かぐや」は月を周り、データを送って来ている。ここで忘れてならないのは、「かぐや」の目的は月の起源と進化を明らかにし、その資源的利用に貢献することである。個々の科学的興味はあるにしても、500億円を超えるという国家予算を使ってのプロジェクトを行っている共通の目的を失ってはならない。  惑星地質学や固体惑星物質科学の立場からすると、先にも述べたように、月は星の世界から石の世界になっているのだが、リモート・センシングを石の世界と結びつけるには、今後のサンプル・リターン・ミッションを視野に入れておかなければならない。月表面のクレーターの多さやアポロ・サンプルのほとんどが角礫岩であることを考えれば、46億年の結晶年代をもつ斜長岩をいかにして手にするかが問題である。 SELENEが打ち上げられる 1年前に我々のグループは、オマーン砂漠のドハールから採取された月隕石が、そのトリウム量が低いことと、マグネシウムに富むカンラン石を含む斜長岩の存在、Ar-Ar 年代が古いことなどから、この試料は月の裏側から来た物だと発表した。これによりアポロ計画で提唱された月全体で1つのマグマ大洋から分化した説が成り立たなくなった。現在の課題として、この月の裏側のマグネシウムに富む斜長岩をいかにして採取してくるか、そのためには何処に着陸すればよいか、「かぐや」で目標を定めなければならない。 地球環境問題の解決が見つかりそうにない現状にあって、月の資源を利用して月に人が住めるようにする方法を今から考えておくのも、単なる夢ではあるまい。「かぐや」の成果で月が身近になれば、この夢に一歩近づくことになる。最後にこのような一文を書く機会を与えられた編集人の白尾元理氏に感謝いたします。 (千葉工業大学フォーラム研究)…………………………………………………………………………………………………………………

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 ウエブ掲載 PDF版の『惑星地質ニュース』配信サイトは、バックナンバー閲覧の要望に応えるために電子ファイルを公開・蓄積するサーバーとして、2004 年 10 月 17 日に開設された(惑星地質ニュース 16巻3号参照)。同年 12月 31日には、トップ絵コンテスト結果に基づいて表紙ならびに全体が整理された。ウエブページ構成は、更新履歴、PDFファイル(『惑星地質ニュース』電子ファイル集)、暦・書評&DVD評、FAQ、連絡先、と分かれており、現在に至るまで変更はない。本サイト開設後は、会津大学生の協力で『惑星地質ニュース』のバックナンバーの入力を遡って進め、2006年12月15日に19年分の全バックナンバーが公開されるに至った。紙媒体の有料購読者と無料ウエブ閲覧者との差別化するために、19 巻2号発刊までは最新号は3か月遅れで公開していたが、2007 年 10 月 12 日の 19巻 3号以降は最新号を紙媒体と同時に公開するようになり、2008 年3月 30 日公開の 20巻1号から完全に閲覧無料の電子版主体に移行した。 本サーバーの PDF バックナンバー掲載ページにどれくらいのアクセスがあるのかを把握するた

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20                                   2008 年 6月 ───────────────────────────────────────────────────

め、2007 年 10 月 19 日から試験的にGoogle Analytics のトラッキングコードを埋め込んで解析を始めた。元々ウエブページの構成を変更する可能性があるので、リンクをする場合には、トップ( http://kumano.u-aizu.ac.jp/PlaGeoNews )にして下さるよう周知はしている。しかし、「参考にしました」という御礼を聞く限りでは、検索サイトで特定のトピックを見つけて直接 PDFファイルを閲覧する例も多々あると思われる。そうした PDF バックナンバー集のページを経由しない直接アクセスまでは把握されないため、今回の調査結果は限定的なものであることを強調したい。なお、当然のことではあるが、アクセスした個人が特定されるような情報収集は行われていない。そのため、惑星地質研究会メンバーがどれくらい占めているかまでは分からなかった。今回使用したデータは、2007 年 10 月 19 日から 2008 年 5月 31 日までの約半年間のアクセス解析結果である。

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この間の閲覧数(セッション数)は583件、区別された閲覧者数は308名だった。残念ながら、バックナンバー電子公開アナウンス直後の時点で本解析は始まっていなかったため、その時どれだけのアクセスがあったかは分からない。この半年間で最もアクセスが集中したのは、小森編集長退任号2007年19巻4号が公開された直後の12月16日で、1日あたり45ユーザ&51セッション数という瞬時値を出した。ただし、その号では『高校生が挑む太陽系の不思議1:DISC 計画の今 (DISC 計画参加校一同)』が掲載されており、MLでそのことが全国に周知されているため、閲覧者の裾野が大きく広がったことによる影響がありそうである。その後も、1ヶ月あたりのアクセス数が約70~80 セッションで推移しており、やや漸減傾向にある。季刊誌なので発刊直後にアクセス数は多少増加するが、それ以外でもコンスタントに見に来ていることが分かる(図1)。 また、電子媒体完全移行後の『惑星地質ニュース』読者数と比べるため、2008 年 3月 1日~5月31日までのユニークユーザー数を調べてみると、114 名、そのうち 99名が検索エンジンを介さずリンク集や Bookmark 等で直接アクセスしていることから、固定読者数と見ている。ちなみに編集

図1

図2

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第 20巻 2号                                          21  ──────────────────────────────────────────────────

部で独立に把握している電子媒体完全移行後の『惑星地質ニュース』読者数は、電子版閲覧のため公開通知メールを希望される方が49名、大幅に減ったといえ紙版送付者数が51名である。紙版送付者もバックナンバーにアクセスするとすれば、『惑星地質ニュース』電子版には 100 名がアクセスすると考えられる。偶然だと思われるが重複を除いた閲覧者数 99名とほぼ一致している。

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 サイトをブックマーク登録しているなどして直接アクセスするのが 461 件 79%と大半を占めている。google 検索を通じてのアクセスが 110 件 19%、リンクページからのアクセスが意外と少なくて 12件 2%であった(図2)。なお、ウエブマスタの把握している惑星地質ニュースを含むリンク集は、次の 2件である。日本惑星科学会( https://www.wakusei.jp/link/ )、地学教育フォーラム( http://www.i-mate.ne.jp/chigaku_forum/link.htm )。また、google 検索のキーワードベスト 10は次のようなもので、

会津大学・かぐや・打上・ライブ中継:19件、(個人名):8件、(個人名):7件、小森長生:7件、フェニックスランダー:4件、マーズリコネサンスオービター:3件、(個人名):3件、月・かぐや・地質ニュース:3件、惑星地質学:2件、惑星地質研究会:2件

小森元編集長を含めて寄稿者の個人名(伏せました)で検索されている例が目立った。会津大のかぐや打上ライブ中継の検索履歴が多いのは、これが一般公開されて、NHKなどマスコミで取りあげられた影響が大きかったためかもしれない。

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 閲覧者の接続速度は、セッション数 583 件のうち、T1(1.5Mbps)327 件、不明 120 件、DSL94 件、Cable27 件、そしてダイヤルアップ 15件であった。PDFファイルサイズが 3.5~0.5MBなので、閲覧に時間が掛かるといったストレスはあまり無いだろうと考えている。使用ブラウザは、

図3

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22                                   2008 年 6月 ───────────────────────────────────────────────────

圧倒的にWindows / Internet Explorer (IE)が 多く、68%であった。次いでFirefox の 15%、Mac / Safari は 13%、Netscape 2%、Opera1%、Mozilla1%未満と続いた(図3)。ウエブマスターがMac環境しかもっていないために、IEでの表示確認をしていないので、もし何らかの不都合があれば、知らせて頂ければ幸いである。

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 国籍別セッション数ベストテンは、日本語のウエブページであることから日本が559件と図抜けており、それは当然予想されていた。しかし2位以下に米国

11件、ニュージーランド 3件、イタリア3件、国籍不明3件、スイス2件、フランス1件、英国1件、と続いたのには驚かされた。どういう経緯で外国からアクセスされたかまでは分からないが、『惑星地質ニュース』購読者が学会などの旅行先でアクセスしたのかもしれない。なお日本国内アクセス元については上位を並べると次のようになる。

札幌 115 件、新宿 36 件、大阪 24 件、豊中 24 件、京都 21 件、福岡 17 件、会津若松 14 件、Kiy-ota14 件、Saiwai14 件、渋谷 12件、Miharu12 件、仙台 11件、中野(東京)10件、千代田(東京)9件、世田谷(東京)8件、つくば8件、武蔵野(東京)8件、山形7件、文京(東京)6件、保土ヶ谷(東京)5件、名古屋5件、西宮5件、水戸5件。

 以下ずっと続いているが、日本全国からまんべんなくアクセスがあったことが分かる(図4)。 以上をまとめると、惑星地質ニュース配信サーバーは、惑星地質研究会のみならず、広く役立ててもらっていると考えられ、電子化したことの効果は大きいと考えている。     

 (ウエブマスター:出村裕英)………………………………………………………………………………………………………………… 新刊紹介

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渡部潤一編著,2008 年,日本放送出版協会(NHKブックス 1115)B6 判,220pp, 本体 1070 円+税, ISBN978-4-14-091115-0 C1344

本書は 6月 25 日に発売されたばかりの最新刊である。「はじめに」によると「本書の内容は、「かぐやの最新成果というよりも、いままさに「かぐや」による変更が待たれている「『かぐや』以前の月の理解」」ということである。全体の構成と執筆者は以下の通り。 1章:日本人は月をどう見てきたか(渡部潤一、36 p)、2章:月に踏み出した人類(出村裕英、32

図 4

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第 20巻 2号                                          23  ──────────────────────────────────────────────────

p)、3章:月表層・地殻を科学する(出村裕英、40 p)、4章:月の深部構造に迫る(出村裕英、16 p)、5章:月に残された謎 「̶かぐや」以前(出村裕英、10 p)、6章:「かぐや」が迫る月の起源と進化(平田成、32 p)、7章:「かぐや」以降の月着陸探査と科学(寺薗淳也、28 p)、の計 7章からなる。 渡部潤一氏が会津出身ということで、会津大学で惑星科学を専門とする残り3人の著者に声をかけて、執筆にとりかかったということである。会津大学の 3人はいずれも「かぐや」月撮像分光機器(LISM)チームのメンバーなので、本書の内容についてはしっかりしたものである。評者は 4 人をよく知っているので、書きっぷりを見るとそれぞれの個性が出ていて面白い。 まず1章の渡部氏は豊富な執筆歴があるだけに、書くべきことはきちんと書き、ところどころに一般的な話題も取り

入れているので読みやすい。私はここではじめて、「月天心」という言葉を知ったし、またそれがつきてんしん

一青窈さんのアルバムタイトルになっていることも知った。また上弦の月、下弦の月は「弦を上にひととよう

して沈むのが上弦」、「弦に下にして沈むのが下弦」と理解していたが、これは俗説だということである。正しくは太陰暦の1か月を3つに分けて上旬、中旬、下旬としたときに「上旬の弦月を上弦」、「下旬の弦月を下弦」という意味だそうだ。「弦を下にして沈む下弦の月」は真っ昼間のことだから、ほとんど見ることはできないはずで、私は納得がいかずもやもやしていたが、これで目から鱗がとれた。拙著『月のきほん』5刷では訂正しよう。 2章から 5章は出村氏の執筆である。ここでは月科学の最新知識と問題点を取り上げており、内容も盛り沢山である。専門用語がポンポン飛び出し、難しい概念の説明を進めるので、読んでいくのがたいへんである。一般人なら 1ページにわからない専門用語が5つもあれば、本を閉じてしまうだろうから、この部分の読者対象は理学部の学部学生以上ということになるだろうか。見方を変えれば、これから月科学を志そうとしている人達にとっては読み応えのあるはずで、じっくりと読んでほしい部分である。 6章は平田氏の執筆で、「かぐや」搭載の科学機器とそれらによって得られるであろう成果を紹介している。全体に過不足なく、うまくまとめられている。7章は寺薗氏の執筆で、「かぐや」以降の着陸機やサンプルリターン・ミッションとその意義について述べている。さらに話は月の有人探査へと進んでいく。寺薗氏は有人探査の肯定派であるが、莫大な費用を費やして日本がどこまで月探査をやるべきかは、ぞれぞれの読者が考えるべき問題でもある。 月を扱った本は多いが、月の科学を扱った本は意外に少ない。P.D. Spudis 著(水谷仁訳)『月の科学』ぐらいだと思っていたが、原著は 1996 年の発行だし、価格も 3000 円と安くはない。『最新・月の科学』は価格も手頃でさまざまな角度で月の科学を扱った良書である。どのような読者でも本書のどこかは非常に有益なはずであるから、ぜひ一読をおすすめする。

(白尾元理)

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24                                   2008 年 6月 ───────────────────────────────────────────────────     !"#$%&'()!%#    pq =! rstuvwxyz{|}~����

 表記の国際学会が、2008年7月28日(月)~8月1日(金)、松江市くにびきメッセで開催されます。近年の隕石学会では、地球外物質の物質科学的研究だけでなく、観測や理論分野の研究者の参加もあり、初期太陽系や宇宙での物質の形成・進化、インパクトプロセス、固体天体探査など、惑星科学の広い範囲をカバーして固体惑星系をトータルに理解することを目指した発表が増えています。今回は「かぐや」ミッションの最新成果をまとめた特別セッションも組まれており、かぐやサイエンスマネージャー加藤學先生がPlenary Lecture (Barringer Lecture)で講演する予定です。詳しくはHP(http://www.metsoc2008.jp/)をご覧ください。                  (H.D.)

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 今年(2008 年)打ち上げ予定となっているインドの月探査機チャンドラヤーン、アメリカの探査機 LROの最新情報をお伝えする。 チャンドラヤーンの方はなかなか公式の情報がなく、報道などで知るほかない。6 月はじめに出た moondaily.com の記事によると、インド宇宙機関(ISRO)のマダバン議長の談話として「チャンドラヤーンの打ち上げは当初予定されていた 7月ではなく、2008 年代 4四半期(10~12 月)になる」とのことである。なお、NSSDC(アメリカ宇宙科学データセンター)のマスターファイルでは、9月 18 日打ち上げとなっている。いずれにしても、打ち上げが多少遅れることは間違いなさそうである。 一方、アメリカ月探査の本命として期待の高い LRO(ルナー・リコナイサンス・オービター)も、打ち上げは遅れそうである。当初打ち上げは10月1日に予定されていたが、現在、LROのミッションサイト(http://lro.gsfc.nasa.gov)では、" LRO will launch no earlier than November 24, 2008 ..."と記述されており、打ち上げは早くて11月24日ということである。なお、NSSDCではまだ10月 1 日となっている。プロジェクトサイトの最新情報では、現在機器のアセンブリ作業が順調に行われていることが伝えられており、6月 12 日にはハイゲインアンテナが衛星に搭載されたようである。 最新の情報はNASAサイト、月探査情報ステーション(moon.jaxa.jp)などを参照していただきたい。                                      (J.T.)

MNOPQ今回は、日本の月研究者の草分けである武田弘先生から巻頭記事をご寄稿いただくなど、月特集のような構成になりました。アポロ時代の雰囲気と引き続く日本の月探査黎明期のようすが紹介されています。あらためて先人達の御努力で『かぐや』が起ち上がった様子が分かります。惑星地質学的な観点から興味深い記述としては、結晶質の岩石が取れる露頭など無い!全て角礫岩だ!ということがポイントですね。                      (D)

LROの飛行想像図